【リライト】に・はち理論【流動性】

皆さまご機嫌麗しゅう…

今日はお休みなのでリライトです

まさか原が当たりくじひくことになるとは

ただ、そろそろお辞めいただきたいのですがね。。。


もう原はくじ引かないほうがいいね(戒め)

明日からまた雨・・・

日曜日は七五三の写真撮影があるというのに・・・

日頃の行いは悪くないはずなんですけど。。。

今回は、お題はふざけているように見えますがどストレートのまじめな話

ワタクシの別の顔部門で、昨日、一昨日と京都の方と懇談&意見交換会をしてまいりました。

話の内容は、火事で更地になったことをきっかけにした京都の路地の再生だったのですが、権利関係といわゆる「所有者不明土地」がその行く手を阻んでいるんだそうです。※京都も長屋が多く、細長ーーい土地が多いという土地柄、鶴岡の昔からの町や商店街とにております。

土地の値段は雲泥の差ですが・・・

これからもお互い情報を交換していきたいです。そしてあわよくば京都に行きたいです(おい)

懇親の場で出たお話で、非常に興味深かったのが、今回の記事の題名でもある

二・八理論

・・・

一応言っておきますが、そばの話ではありません

2019nihachisoba
ワタクシ、二八でも十割でも、そばなら何でも好きです

京都の中心街って、昔は持ち家と賃貸の割合が二対八だったんだそうです。

なので、お金持ちは持っている家を子々孫々何としても守って、そのほかの人は引っ越しが簡単にできるので、家族構成に応じて引っ越せる→人口が流動的で人口の年齢バランスがうまく守られていたんだそうです。

翻って見て鶴岡市・・・

古いデータだと、持ち家が8割程度

現時点でもそれほど変わってはいないのではないでしょうか?

その結果・・・

中心市街地の家で子供が生まれても、市外県外に出て行ってしまえば、高齢の親世帯だけがそこに残ることになります。。。

その結果

中心市街地ほど高齢化が進む、ということが起こるわけです。

憧れのマイホームを買って住めてハッピーで終わりではありません。

その土地(と建物)は自分とその子孫が

  • 住み続けるか
  • 解体して立て直すか
  • 売っ払うか

どうにかしなければならないわけです。

プラス、その土地で子供が生まれなければ・・・

当然ですが、その地域のコミュニティは縮小・最悪崩壊してしまいます。

今が良ければよいでどんどん建てていけば、早晩そうなるのは目に見えております。

実際、小学校の運動会も、一つの町ではチームが組めないので、二つ三つの町で連合チームを作っている、なんていうのも珍しくありません。

ただ・・・

ワタクシはもういい加減、この町対抗方式はきっぱりやめるべきだと思います。不平等極まりないし、町によって子供の競技参加が1個だけだったり全部でなければならなかったり・・・誰のための運動会なんですかね(激しい怒り)

・・・

話が脱線しましたが、

人口が減少することを前提にすると、その自治体を維持するためには

  • いかに持家世帯はその地域に子々孫々まで住み続けるか
  • いかに土地建物の流動性を上げるか
  • いかに高齢化地域が固定しないようにするか(人口の流動性が高いか)

が重要になります。

もう、今が良ければいいという時代ではありません。財産を所有することにはリスクだけではなく責任も生じます。

そして所有した土地建物を手放す際も、先祖代々の土地を自分の代で・・・というような悪い意味でのこだわりや執着を持ちすぎないようにすることも必要です。

ワタクシ、子供の恐竜ブームで学びました。

恐竜は二億年という途方もない期間、地球の生命体の絶対王者だったのと比べて、人類なんかしょせん1万年ですよ。天下を取った期間で比べるとカスみたいなもんです。

数十年、数百年の歴史なんて、その長い時間で考えれば瞬き以下の長さでしかない・・・

こだわったってしょうがない、と。

そういった、所有のリスクと責任をとる覚悟、手放す際の思い切りを想像できますか?

家賃払うのがもったいない、程度の覚悟でしたら、ワタクシ正直おやめになったほうが良いかと思いますよ。

※ 持ち家と賃貸系の記事はこちらもご覧ください

まぁ・・・手あかがついたこのフレーズであおるメーカーや不動産業者もたいがいですけどね


元記事ここまで

先祖代々の土地を守る、という考えに固執しすぎると、街そのものの活気が失われるわけです。

手放す、、解体する、そういった終わりを意識した不動産取得をワタクシはこれからも提案していきたいと考えております。

雪もいい感じにとけてくれて良かった、どえらい量の雪がとけずにのこるにはまだ早すぎますよ。。。

というわけで、また明日ノシ

ページトップボタン
ページトップボタン