この世はやっぱり地獄だった 映画『JOKER』

おはようございます

ようやく通常ペースに戻れた。

さて

先日、ついに見たんですよ『JOKER』

最近公開になった続編じゃなく最初のやつです。

すごい映画だ、とは聞いてたのですが・・・

ワタクシ、アメコミ系全然興味が無くて(失礼)

という訳で、久々の映画レビューでございます。

※補足:内容についてあらすじ以外のネタバレはしませんのでご安心ください

あらすじはこんなかんじ

「どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸にコメディアンを夢見る、孤独だが心優しいアーサー。都会の片隅でピエロメイクの大道芸人をしながら母を助け、同じアパートに住むソフィーに秘かな好意を抱いている。笑いのある人生は素晴らしいと信じ、ドン底から抜け出そうともがくアーサーはなぜ、狂気溢れる<悪のカリスマ>ジョーカーに変貌したのか? 切なくも衝撃の真実が明かされる!(引用:filmmarks『JOKER』 より)

※引用元にはネタバレを含む感想もあるので、観る予定の方はリンク先の閲覧は慎重に…

”切なくも衝撃の真実が明かされる”

・・・

恐ろしいほどに陳腐な表現だな。

そんな生易しいものではありませんでした。

世の中の悲しみと怒りすべてを集めた。そんな映画でした、『JOKER』

さて、この映画

見捨てられる

とか

大事にされなかった

とか

大切な人から致命的な裏切りに遭った

とか

そういう経験がある人ほど胸に迫るものがあります。

ソースはワタクシ

実際ワタクシ、途中から嗚咽が止まらなくなりました。胸が潰されるように苦しくて。

比喩ではなく、物理的に。

観終わってもしばらく止まらず。

・・・

で、気づいたんです。

あ、自分で思っていた以上に、俺は痛めつけられていたんだな

と。

そしてこの『JOKER』は、

俺のための映画だ

そう思いました。

ええ・・・

『この歌は、まるで自分のことを歌ってくれている・・・私のための歌だ!』なんて思うのとおなじです。

勿論この作品中にアーサーに降りかかる災厄は、ワタクシが受けたものよりもはるかにひどい。

それでも、

自分でも気が付いていなかった傷

・・・いや違うな

見ない振りをしていた

もう大丈夫だと思い込んでいた

そんな傷

そういう傷は治りきることはない、ごまかすしかない、そして

悲しみは閾値を超えると、憎悪になる

という点では一緒なんですよ。。。

JOKERは、現実に起こったことの中に、突然JOKERの妄想が入ってくる構成で、何が現実でなにが妄想かわかりづらい、というかわからない部分もあります。

でもいいんです。

どっちにしても、この世はやっぱり地獄だから。

(ゴッサムシティですけどね、舞台は)

ただ

傷を”傷”だと理解できた人生でよかったな、そう思います。実際に負ってみての感想です。

そうじゃなかったら、閾値を超えるどころで済まなかっただろうし、自分が加害の立場になった時に、相手の不幸や悲しみを安く見積もってしまうから。

ええ。。。

ワタクシ自身が聖人君子で、幸福だけを振りまいて生きてきたわけでもないし、むしろ多くの人を傷つけたり、迷惑をかけたりもしてきたでしょう。

ほんとうの意味での理解・共感・寄り添う、なんてできっこないかもしれません。

それでも出来る限りワタクシは、思いを馳せたいと思います。

やってしまったことにも、やれてて悲しかったことにも。

・・・もう余計なことは言いません

是非、皆さんもご覧ください。

それではまた。

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