皆様ご機嫌麗しゅう・・・
ようやく日常を取り戻しつつあります。
そんなこんなでもう季節は秋から冬の入り口。。。
負けた気分になるので、なんとか10月はノー暖房で過ごしたいところです。
・・・何と戦ってるのか。。。
で、こちらも佳境に迫ってまいりました『幸福論』のレビュー
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では27回目スタートです
今回は
73.上機嫌 74.ひとつの療法 75.精神の衛生
です。
73.上機嫌
もしたまたま道徳論を書かねばならないようなことがあれば、わたしは上機嫌を義務の第一位におくだろう(73.上機嫌より)
なぜかというと・・・ちょっと長いですが引用します
他人に対しても自分に対しても親切にすることだ。他人の生きるのを助け、自分自身の生きるのを助けること、これこそ本当の慈愛なのだ。親切は喜びである。愛は喜びである。(73.上機嫌より)
上機嫌でいることは自分への親切でもある。
忘れないようにしなければならないな。。。
74.ひとつの療法
72.の上機嫌でいることの効能を”上機嫌療法”として紹介している章です
ずっと上機嫌でいる。それだけなんすけどね。
そうかんがえるとあら不思議
不平不満を並べている人とのかかわり=上機嫌でいるトレーニング
に変わります。
もちろんこのトレーニング
人間だけではなく、ものごとでもいいことがしばしばある (74.ひとつの療法)
嫌な出来事全てがトレーニング
ですからね。
これを繰り返していると・・・
人は物事を気持ちの良いシャワーのように受け流す(74.ひとつの療法)
つまり
スルー力が身につく。
SNSで損耗している現代人には、上機嫌トレーニングが一番必要ですね。。。
75.精神の衛生
観念の循環は、しばしば、なにかくだらぬことや子どもっぽいことを生みだすことがある。しかし、それは精神の健全さそのものなのだ。(75.精神の衛生)
なのに教育は、その観念をできるだけ固定させようとする。
だから精神の衛生を保つため、
- 自分の周辺を眺めて、いわば光景のシャワーといったものを自分に浴びせること
- 結果から原因にさかのぼること (75.精神の衛生)
この二つの訓練が大変有効です。
悪夢を見たて気分が悪く過ごすのは
悪夢(原因)によって嫌な気分になる(結果)
ではなく
悪夢を見たら、その原因は何かを探す
これが結果から原因にさかのぼるということです
勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなしに通じるものがありますね。
え?よけいわかりにくい?
ワイはアランにはなれんかったか・・・
オチが付いたところで今日はここまで。
ではまた明日。。。Cyaoノシ