皆様ご機嫌麗しゅう・・・
連休初日から雨
しかも土砂降り
テレビアンテナのクレームがありましたが、この天気だと業者が動けんのです。。。
屋根に上れませんからね・・・
という訳で、今日はこ・・・
ではなく、無理してお出かけせずに、自宅で過ごすのはいかがでしょうか?
で、あの映画が、ネトフリで全世界配信されたんです。
そう、『火垂るの墓』
※日本は日テレが権利持ってるので配信されてません。。。あしからず
で、この記事です。
火垂るの墓が初の世界配信、大絶賛の背景「二度と見たくない傑作」
「火垂るの墓」世界190か国で配信 「ようやく見られた」「涙がこぼれた」などの声
今年、我が家では終戦記念日に合わせて子供らとDVD借りてきて視聴。
下の子の反応は、
ええ・・・
ギャン泣き。
一方ワタクシ、二人の子供の親として今回20年以上ぶりに視聴しました
当然涙なしには見られませんでしたよ。
清太がひたすら耐えに耐えるんですよ。節子のために。
で、ふたりの引受先となったおばさんの態度ですわ。
たしかにムカムカします。
でもあの時代、そうでもしないと一家もろとも共倒れになるリスクもあったわけです。
映画全般を通して、子供が子供として生きられない戦時中の”空気”への嫌悪が一番強かったです。
誰も助けてくれない、必要以上におせっかいを焼くようなうっとおしい大人がだれもいない。
衰弱していく節子は本当に見てられないです。
けなげに兄を待ってる姿は、ほとんど描かれませんが、最後の最後にね・・・
で、そもそも論として
清太は作中14歳
うちの上の子と同じくらいの年の頃です。全然子供です。
そんな子供に対して、ですよ
たまに見かける、
「清太がおばさんと折り合いよくやってれば死なずに済んだ」といった
清太自己責任論・・・
実際ワタクシも、一時、ほんの一時ですがそう思ったこともありました。
何とか耐えればよかったじゃないか。と。
そんな世論を予言するようなことを、上映当時語っているんですよね。。。
高畑勲が。
映画『火垂るの墓』で高畑勲監督が伝えたかったこと(アニメージュ1988年5月号から)
上のリンクは、記事全文の引用です。
以下引用
~略
でも結局、実のところ、類似というのはこの出発点の心情だけかもしれないんです。清太と節子が生きた時代というのは、隣組とか、愛国婦人会、産業報国会、それにもちろん軍隊、内務班、分列行進歩調とれ! と、ことごとに抑圧的な集団主義がとられていました。制服はもちろん、登下校も集団で班を作っていく。社会生活の中でも最悪最低の”全体主義”がはびこっていたんです。清太はそういうところから自らを解き放つわけでしょう。”純粋の家庭”を築く、というのはおそろしく反時代的な行為ですよね。現代の青少年が、私たちおとなが、心情的に清太をわかりやすいのは時代の方が逆転したせいなんです。こっちは時代の流れに乗っているにすぎない。もし再び時代が逆転したとしたら、果して私たちは、いま清太に持てるような心情を保ち続けられるでしょうか。全体主義に押し流されないで済むのでしょうか。清太になるどころか、未亡人以上に清太を指弾することにはならないでしょうか、ぼくはおそろしい気がします
上リンクから引用ここまで
・・・さすが高畑勲、とんでもない慧眼ですね。。。
実際そうなりかけているようでワタクシは怖いです。
極端なキャンセルカルチャー・・・
執拗なバッシング・・・
極論と極論同士で罵り合うだけの討論会・・・
長いものには巻かれとこの精神・・・
正義っていったい何なんだろう。。。
・・・
残念ながら日本のネトフリでは見られませんが、皆さんもどうですか?火垂るの墓。
あ、アンテナ&テレビ写らない問題は、ワタクシが解決してまいりました。
どうやったかっていうとね・・・
それは、次回のお楽しみ・・・
という訳で今日はここまで
では、愉しい楽しい連休をお過ごしください。Cyaoノシ