皆様ご機嫌麗しゅう・・・
先週飛ばしてしまったので、今週は死守です
前回までのあらすじ
アランの幸福論、全プロポをまとめ切ってやると宣言してはや3年が過ぎた
このままでは企画倒れになるのではと危惧したワタクシ
なぁに週一で更新すれば今年中に終わらすのは可能さ
と突然エンジンに火を入れなおしたのだった・・・
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では22回目スタートです
今回は
57.絶望について 58.憐憫について 59.他人の不幸
なんかげんなりするような三つのプロポですね。
どれもこれもじめぇっとして、梅雨時にまとめるのにちょうどよさそうなテーマ・・・
・・・
・・・
ええ、
ワタクシがちゃんとやればできたんですね・・・
絶望って、なんでしょうね?
キェルケゴールを持ち出すと面倒なことになるので、おおざっぱに言うと
悩みがクリアにならない事って絶望と同義ではないかと思います。
特に過去の出来事について「あのときこうだったら・・・」に取りつかれてしまう事について、
ぐうぜんにもアランも同じようなことを書いてます(棒読み)
過去をあれこれ考えることから生まれる悲しみは、何の役にも立たず、きわめて有害である。なぜならそれはわたしたちをいたずらに反省させ、いたずらに探し求めさせるからだ。
中略
後悔することは2度過失を繰り返すこと とスピノザは言っている
57:『絶望について』より
ただ、どんな人間もそう簡単に過去を引きずらないで生きられません。だからこそ
悲しみをその本当に原因につき返すがいい
57:『絶望について』より
そこから”未来”側へスタートしなければならないわけです。
その足を引っ張るのが・・・
他人がかれら自身について語ることばをきくと、私は私自身のことを考えざるをえなくなる。
59:『他人の不幸』より
他人の不幸をきく→自分の不幸を考えるて愚痴る→あいてもさらに自分の不幸のことを・・・
だから、愚痴をこぼし合う・・・なんて最悪なわけですね。悪の相乗効果や・・・
将来への漠然とした不安(未来のこと)やすでに起こってしまった嫌な出来事(過去のこと)ばかり考えるということは、結局今を生きていない事ですからね・・・
・・・こうして絶望につながっていくわけです。
皆さん、
どうせ悩んでも変えられないことを考えるのはやめましょうね。。。
考え続けている限りどんよりべっちょりした絶望のもやのなか・・・
で、とちゅうぶっとばした憐憫です
人生を暗くする親切、陰鬱に他ならない親切というものがある。人は一般にこれを憐憫と呼んでいる
58:『憐憫について』より
悲しみに寄り添うだけではなく、あくまで未来へ向かうべきなのに、過去に寄り添っていつまでもぐジグジやるのが憐憫。。。。
言いたいことはわかります。
未来に向かうにしても希望・期待をもって進む必要があるから、憐憫は過度にやりすぎるとスポイルしてしまうわけですよ。
悲しみは決して気高くもなく、美しくもなく、有益でもない
58:『憐憫について』より
信頼こそ素晴らしい霊薬なのだ
58:『憐憫について』より
だそうで。
自分以外は全員他人なのです。
他人とのかかわり方って、本当に難しい。。。
でも関わらずに生きることは不可能。
影響を受け過ぎればしんどいし、完全に殻に閉じこもれば自己満足でおわってしまう。
で、過干渉になる時って、相手を信用できないときだと思うのです。
信頼って、難しいですよね。必要以上に声をかけず、黙っているのはすごく難しい。
信頼、出来るようになりたいですね
恋愛にしても、育児にしても、ね。
ではまたCyaoノシ