皆さんご機嫌麗しゅう・・・
日曜日、リライトの日です
このネタは思うところがありすぎるて。。。
(初出2021年10月)
10月になってしまいましたね。
まもなく冬。そして雪・・・
スタッドレスのCMが心をざわつかせます。。。
今日はブックレビューでもグルメでもありません。
まじめな話。
ワタクシ
何の因果か不動産の仕事について十数年。さすがに初心者とは言えないお年頃。
中堅というかベテラン(プロ野球選手だったらそろそろ引退…)の域に入ってまいりました。
なんやかんやといろいろな取引をさせていただきましたが、
それも実力云々ではなく・・・
自分は運が良かったからだと思っています。
職場、お客様、友人・知人、家族、環境・・・
大儲けは出来なくとも、衣食住に困ることなくここまで仕事して暮らしてこれたのは、とにかく運が良かったから。
誇張ではなくそう思っています。
だから皆様に毎日感謝を欠かしません・・・
ウソです。。。忘れてしまうこともありますが、ちょこちょこ感謝しております。
さて、運・不運といえば、最近、ネット初で世論をざわつかせた『親ガチャ』という言葉をご存じでしょうか?※ソシャゲのガチャにもレア度によってSSRだとかSRだとかがあるようですが、ワタクシソシャゲ一切やってないので・・・たぶんビックリマンシールのヘッド・天使・お守り・悪魔みたいなものだと思うとしっくりきます(年がばれる)
この言葉を聞いて、どうしてもブログで書きたくて書きたくて・・・
この言葉自体がネットスラング的な印象を与えるるうえ、賛成も反対もベクトルがあっちこっちに向いてしまって、ハレーションを起こしているようにも感じます。
私自身この親ガチャという言葉を聞いたとき、すごく当を得た言葉だなと思いました。
そしてすぐに頭に浮かんだのが、親ガチャはずれを引かされた子供たちのこと。
たとえば・・・
- 子供たちにどう考えても非はないのに、理不尽な暴力を受け続けている子供たち
- 貧しく勉強する機会さえ六に与えられず、貧困の連鎖に巻き込まれる子供たち
- 産まれて間もなく親に殺害されてしまった子供たち
これが親ガチャのハズレでなければ何なんでしょうね。ほかの言い方で、『毒親』なんてもいいますが。。。
で、この話、親がろくでもない!ひどい!
・・・で完結するほど単純な話ではないんです。
この『親ガチャ』の親側も、親ガチャ外れだったケースもあるんですよね。つまり、親ガチャ外れの連鎖です。
このブログでも何度か触れておりますが、ワタクシ、親が産んだ子供をすぐに殺害・遺棄した事件の裁判員を務めたんです。
その殺害した被告も、同じように親ガチャ外れなんですよ。ハズレ・・・の中でも多くを占める貧困は、連鎖する。
大なり小なり当たりはずれはあるだろうけれど、それは実力ではなく完全に運・・・
その運によって人生のスタートがゆがめられる。
理不尽以外の何物でもないように思います。
で、皆様
この本をご存じでしょうか?
マイケルサンデル著『実力も運のうち』※ワタクシも未読ですが、今読んでる本が片付いたら読もうと計画しております。
例えば
東京大学合格者とその家庭年収には相関関係があります。
詳しくはこちらのリンクをご覧ください。
「ドラゴン桜」の実態──東大生の親の年収や職業の傾向は?【データ分析】
要は、東大に入るにはそれなりの収入がある家でないと難しい。ということ。
収入があるということは、資産があるか収入を得られるだけの仕事をしている
つまり、親が高学歴か、何かしらの能力が高い。
そして良い教育を子供に与えようとういう環境(とおカネ)がある。
もちろん東大に入るには並々ならぬ努力をしてきたことでしょうが、そういった努力ができる環境に自分がいること自体、すでに運がいいんです。
上野千鶴子さんが、平成31年入学式での祝辞でも、そのことに触れています
~~ここから引用~~
あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。
あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと…たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
~~ここまで引用~~
努力できる環境にいることへの感謝、そんな視点を持てなければ、世の中に出た時に困った人を助けるなんてできないでしょうからね。全文東大のHPに掲載されていますので、是非ご覧ください。
ただ、データを見ると、世帯年収450万円以下の家庭からの東大合格者は13.2%、全くいないわけでは無いです。やはり努力がたりないからじゃないの?
・・・といいたい人がいるでしょう。
ただ、
- ごく普通の家庭に生まれたけど東大理Ⅲはいった
- 中卒だけど一代で大企業を築いた
こういうレアケースを取り上げて、失敗する人間は努力が足りないだとか、成功者に対するひがみだ、という考えになるのは、努力しない人間は生きていてはいけない、優れたものだけが生きていてもよいという優性思想につながり、非常に危険だと思います。
もちろん、苦労や失敗はいくらでもした方がいいですが、しなくてもよい苦労はしないほうがいい。特に貧困の問題は、簡単に連鎖を断ち切れません。
しかも貧困は人をむしばみ、自己肯定感を低くします。自己肯定感が低いから、大なり小なり貧困を経験した人は、親ガチャ成功だったなんて絶対考えないでしょうね。
※貧困について詳しくはこちらの連載をご覧くださいませ。 まとめるの大変だったなぁ
ワタクシ、親ガチャが外れだったとしても、まともに生きられる社会を築くことが最も重要だと思います。
貧困の放置は結局、社会全体に倍返しを食らわせますから。
この親ガチャという言葉、使ってる若い世代は軽いノリで使っていると思いますが、昨今の行き過ぎた実力主義・能力主義・自己責任論を考え直す良い機会になればいいなぁと思います。
久々の長文記事、ふぅー。。。
元記事ここまで。
もともと生まれめでたいかた(銀のスプーンをくわえて生まれたなんて言いますね)は、人格者だったり、素直で誰からも愛される人が多いんですよね。
ワタクシ自身が親ガチャで”あたり”ではなかったわけで(ぼやかしてかいてます)
今思い返しても、ワタクシ並びにきょうだいが道を踏み外さなかったのはただただ運と偶然と、ワタクシときょうだいの努力のおかげです。
だから親を大事に~などと言われると虫唾が走ります。
で、自分自身に悪い点があれば、それを正すのは当然ですが、
自分が全く悪くないのにうまくいかないのは、そもそも環境が悪いからです。
少子化だ、人不足だ、高齢化だといってるわりに、全然優しい社会にならないのは、
構造改革バカのあれとあれが社会構造を無茶苦茶にしてからです。
自分にできることは、まっとうに生きて、仕事で困っている人の力になるくらいですが、これからも頑張らねばならんですね。。。
ああ・・・・暗い話題でスミマセン
あと、サンデルの本まだ読んでねーや(汗)
それではまたあしたノシ