大好評だと信じたい・・・
『幸福論』ブックレビュー
1回目、見て・・・くれましたか?
もし「お前のこの解釈さぁ、間違ってっから(半ギレ)」というご指摘ありましたら、突っ込んでいただければ幸甚でございます
と、若干弱気な導入からの連載2回目でございます。
第2回目は
3.悲しいマリー
4.神経衰弱
をレビューしたいと思います。題名がおだやかじゃないですね。。。
3.悲しいマリー
このマリー、1週間ごとに躁と鬱が入れ替わる人で、躁状態のときは何が起こっても幸福に感じるし、鬱状態のときは、どんなことも悪くとらえる、そんな人です。
大なり小なりそういう気持ち、誰にでもあるとは思います。ワタクシもメンタルダメダメ野郎なので、落ち込んでるとなーーーんにもできない&やる気が起きません(おい)
そういうときって励ましの言葉も心には届かないんですよね。
なのでアランは不幸と幸福について
不幸だと思っているときは、つける薬などない/幸福というものには、自分が思う以上に意志の力働いている
といっております。心えぐられますね・・・
水がめに2つの取っ手があるように、どんな事柄にも2つの側面があります。なので、今の事柄を幸福だ!!と思う意志がなければ、幸福になれない、ある意味逆説的な説明です。
このマリーの話には続きがあって、
彼女を診察していた心理学医は、彼女の血液を調べると血球の数が少ないときは楽しい時期で、血球が多くなると悲しい時期という法則を見つけたのです。が、それを説明してもマリーは全く信じなかったそうです。
つまり落ち込んだ状態か幸福な状態かは、自分で選ぶことができないわけです。なぜなら血球の多い少ないは、自分でどうにもできませんもの。
ただ、自分が悲観している・気持ちがふさいでいるとき、それは血球の多い少ないが原因だと知っていれば、耐え忍びやすくなるというものです。
嫌なことを思い出して、不幸をガムのように味わうのはやめて、「今は悲しみが友達」なんだと割り切れることは、心の平静のためになりますよね。。。
「すぐにはできねーよ!」
と思いますが、知ってるだけでも少し慰めになりませんか?私は結構楽になりますよ。
単純なものでワタクシ
4.神経衰弱
じめじめしたこの季節にピッタリなテーマですね(ゲッソリ)
この梅雨の季節、人の気分も天気に左右されがちです。時代が変わっても人間ってそれほど変わらないものですね。
些細なことが気になったり、大したことない用事が重く感じられたり・・・
だからといって、自分は鬱だとか、病んでいるだとか思い悩むのはちょっと待ってください。
アランは、なぜ不幸だと感じるか、事実を理解することを説いております。大したことがないのに不幸って、矛盾してますもんね。
幸福か不幸かの理由は大して重要な理由ではなく、肉体のとその働きが重要というのも面白い視点です。体は緊張と収縮を繰り返し、それに従って気持ちも緊張と収縮を繰り返している。
で、いちど何かに没頭すると、いちいち悩んでる暇はありませんよね?でも考える暇ができると、些末なことがわっと気になりだす。暇の結果些末なことが気になっているのに、気がふさいでいる原因がその些末な事柄だとおもいこんでしまう。。。
いかにしょうもない悩みが付け入るスキをなくすか、これが重要です。
どんな人間も情念を持たないことはできない、だが賢者は、魂の中に幸福な思想の大きな広がりを形作っているので、情念はそれよりずっと小さいのだ(byスピノザ)そうです。
アランは言います。
大思想家や大哲学者でなくとも、我々には没頭できる希の幸福があるじゃないか。本・絵画・音楽・友人との談話・・・と
で、このプロポ最後の言葉がこちら
「私たちはそうした価値のあるものをあてにしている。自分がはっきり欲しているものを望むことは、時としては偉大な技術を要するものである。」
暇つぶしが氾濫する今の時代こそ、深く深く響く言葉と思います。
- 目の前にある有用で魅力的な本よりもスマホを眺めてしまう・・・
- 教養を深めてくれるテレビ番組があるのに、YouTubeのしょーもない動画をみてしまう・・・
- 友人との会話も新コロで疎遠になりがち・・・
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すぐ役に立つものは、すぐに役に立たなくなります(by伊集院静)何も考えずに見ていられるものは、欲しているものといえるでしょうか?
あなたが本当に欲している、”没頭できるもの”って、何ですか?