おはようございます
今日は1月15日、1995年の阪神淡路大震災から30年。
今期の朝ドラ『おむすび』は、阪神淡路大震災と東日本大震災、二つの大震災を描いております。
様々意見・感想あるかと思いますがワタクシは面白い朝ドラだと思います。
さすが根本ノンジ氏
で、そういえば一昨年10月、神戸行ったなぁ・・・しかも震災で滅茶苦茶被害が出た長田地区に。
ということで、今日はその記事のリライトです
皆様ご機嫌麗しゅう
月から水曜まで、神戸出張してまいりました。
とにかく街を歩きまくり、神戸の長田地区の官民の方々と意見交換をし、空き家について語りつくした二日間でした。
・・・
嘘です。ほかのこともいっぱい喋りました。
神戸市の長田地区は、神戸市の区の中で最も小さい面積ですが、最も人口密度が高い地区です。
で、あの1995年の阪神・淡路大震災で被害を受けた地区とそうでない地区で、再開発に大きな差ができていて、再開発されなかった地区に、空き家空地が密集している…という訳です。
復興のシンボル(復興後だいぶたってから建てたものですが)の鉄人28号の

これマジででかいです。なんせ実物大だそうですから。
で、実際に歩いた密集地はこんな感じ。





棟割りになってたり、道路が狭小だったりとすごかったです。
建築基準法の道路とそうでない”道”が錯綜し、カオスの様相を呈してました。
空き家対策に身を置老いている立場では絶対に言えない、
もし○○してくれてたら・・・を考えずにはいられません。じっさい震災後再開発された地域は整然と整備され、不動産の価値も未整備の地区と比較すると倍以上でしたから。。。
で、長田地区の空き家空地を何とかしようと頑張っていらっしゃる、空き助ながたさんの取り組みがこちら




空き助ながたさんの取り組みは、
困っている空地を無償で使用貸借し、防災空地やレンタル菜園として運営するというもの。
震災の経験から防災用の空地利用の場合、固定資産税都市計画税がかからなくなるんだそうです。
で歩いた後に、勉強会でした。

13時からなんやかんやで17時までみっちり勉強しました。
ええ・・・なかなか濃密な勉強タイムでしたよ。
一応、ワタクシが講師として御呼ばれしたのですが、学ぶことが多かったです。
都市規模が違いすぎるので比較できませんが、空き家問題にガンガン取り組んでいこうという神戸市のやる気を感じました。
やる気を感じました
やる気を感じました(しつこい)
しつこく言いたくなるのは
どこかの何とか市がやる気を感じないからかもしれませんねたぶん
で、懇親会という名の第二会議


到着の日はお好みをいただきました。なんでも、長田地区はお好み焼き屋の密集率もナンバーワンなんだそうです。
勉強会終わりはこちら






ベトナム料理店。旨かったです。
長田地区はアジア系の移民が多く住んでいて、ベトナム人もすごく多いんだそうです。
あと、これ

有人タバコ屋さん・・・
お前…生きとったんか・・・
貴重なものを見られました。
ステレオタイプな言い方ですが、西側の方って人懐っこいですね。
ビニールボールでやきうやってる子供が、そらへんのおっさんに声かけたり、
知り合いでなくても声かけて挨拶してたり・・・
・・・
ちょっとウラヤマシイ・・・・
今度は持ち帰った情報を、こっちの空き家対策にフィードバックするのが仕事ですね。。。
と、まじめ編はここまで。
明日は神戸と、ついでに寄った大阪※読んだら全然書いとらんかった
ちょこっとご紹介します。
お楽しみにCyaoノシ
ここまで
因みに次の日の記事はこちらです
30年の間に、ずいぶんいろんなことが変わりました。
でも、人が亡くなるということの重みは、たとえ100000年経っても変わらないです。
ちょっと前、眠れずに聞いていたラジオ深夜便で
当時のことをお話されているのを聞きましたが
「震災で家族を失った方が、ある日急に元気になり商売を始めたものの、一年後に自ら命を絶っていた」(若干ニュアンスが違うかもしれません)
というエピソードが忘れられません。
陳腐な言い回しであまり好きじゃないのですが
心を亡くすと書いて”忙”
このエピソードを聞いてから
亡くさないと生きていけないくらいの悲しみ、ワタクシにも経験がある、とはいえないです。
悲しみがそこにあった記憶を背負うこと、記憶をできるだけ鮮明に残すことが、当時を知る我々の責務なのかな、と思います。
東日本大震災と阪神淡路大震災
どちらも、絶対に忘れません。
いや、
忘れても、必ず記憶を引きずり出します。
では、今日はここまで。
貴重な御写真アップを心からありがとう。
m(._.)m
活字にすると軽々しくなってしまいますが
本当に 震災は…恐怖です。
30年前…そのころ当方人生最大の決断‼︎
震災でお亡くなりになったかたゃ
また被害にあわれたかたの事を思えば…当方の悩みは微塵な事か‼︎と、一大決心した。
あれから30年かぁ!時間は経過しても…
心の傷は癒えない“そりよう” ありがとう。
雪国の花時計様
コメントありがとうございます
ワタクシは当時中学生で重大さが全く分かってなかったですね・・・
ただ、悩みや生きづらさを些細なこと・・・と思う必要もないですよ。
生きるだけでも大変ですもの。
なので、”忘れない”でいたい、忘れてもちゃんと思いだしたい、そう思います。