ブックレビュー アラン『幸福論』 連載23回目

皆様ご機嫌麗しゅう・・・

今日は8月31日、もうすぐ2/3が終わる。。。

あ、1年のことではなく、この幸福論です。

今年が終わるのが早いか、この連載が完走するのが早いか・・・

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では23回目スタートです


今回は

60.慰め 61.死者の崇拝 62.間抜けな人間

今回の三つは、忘れる・没頭する・思う・悼むといった、考え系のオハナシです。

映画や劇なんかで、話の本質ではないところが気になって話に没頭できない事ありませんか?

お話自体は集中出来れば感動的だったり、ゲラゲラ笑えるものだったりするのに。。。

逆に話に没頭すると、些末なことが頭を占めることはなくなるわけです。

没頭している瞬間は、そのことで頭が埋め尽くされているわけです。

頭の中と、おかれてる状況は必ずしも一致しない。だから

幸福や不幸はというものは想像することができない

引用:60 慰め

なわけです。死がまじかに迫った瞬間でさえ、その人の頭を別の何が占めていれば、不幸ではないかもしれない。。。

お盆終わっちゃいましたけど、死者を悼むというのは、どの国にも共通の行事として存在します。

使われすぎて陳腐に聞こえる『死んだ人はあなたの心で生き続けている』

一言でいうとそれですわ。

ただ、死者は、存在してはいません。だって亡くなっているから(当たり前だ)。。。

存在するとは、周辺の世界の衝撃にこたえることだからである。それは、一日に何回となく、一時間に何回となく、自分があるべく誓ったものを忘れることである

引用:61 死者の崇拝

誓ったものを忘れること。。。忘れるって悪いことじゃないみたいなこと、ワタクシ書いたな。。。

忘れるということは思い出せるチャンスがあるということ。

忘れるということは、けっしてネガティブな事じゃないんだ、みたいなことを書いたのがコチラ

で、亡くなった方が何を望んでいるか、でうが

死者の欲したものをあなた方の生命が豊かに発展させることを、死者は望んでいる

引用:61 死者の崇拝

完全同意です。

だから、誰かが亡くなった物件を事故物件と言いたくないんですよ。

生命を豊かに発展・・・まではいかなくとも何も望んでいないか、少なくとも迷惑にならないようにしたいな・・・くらいしか考えてないです。

だって、

自分と全く関係ない人間を恨んだりするほど幽霊サイドも暇じゃないと思うんですよね。

悲しみの慰め方はシンプル

淵にを投げるように不幸にとびこんだりせずに、自ら慰めるように専念しなければならない

引用:62 間抜けな人間

起こった悲しみも反芻することが、いかに無意味か・・・

次行ってみよー

の精神、忘れずにいたい・・・いや、忘れても思い出していきたいですね。

。。。二週飛ばしたので、ちょっとペースがヤバとんです。。。

年内で、終わらせたいなぁ…

ではまたCyaoノシ

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