季節の変わり目、一雨ごとに涼しいから寒いに変わってきた今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?
ワタクシの応援する某在京球団も(ほぼ)終戦・・・
中4日の焼け野原ローテ、打てないロートル、守備軽視のわけわからん采配・・・
そしてよくわからんドラ一戦略(まーたノーコンパワーピッチャー)
ホント勘弁してください(涙)
これからは在京のよしみで燕応援します(涙)
さて、この連載も9回目。
まだ9回目・・・
かなりペースダウンしております(汗)
こればっかやるわけにもいかんのです。
なんせワタクシ
不動産屋なんでね・・・
ただ、必ず完走しますことを改めて皆様にお約束いたします。
で、今回は9回目
第9回目は
17.体 操
18.祈 り
をレビューです。
17.体 操
始めるまでがちがちに緊張していても、動き出すとフツーにできること、あるとおもいます。
恐れや緊張を強い意志で乗り越えた・・・と考えがちですが、アランは、体がほぐれたから恐怖や緊張を克服できた、と解釈しています。
体の各部位は密接に関係してるので、ぎこちなさは体の末端から体中へ伝染してします。ということは、完全に制御された体には、恐怖や緊張によるぎこちなさは存在しえないわけです。
調子のよい演奏・弁舌・歌は、そういった制御された体から発せられるので、人々に安心や落ち着きをある意味”伝染”させてくれる。
これがいわゆる上手とか、心に残る演説・歌・演奏なんでしょうね。
よく、自分が考えているように体が…みたいなことあるじゃないですか。これが情念に体が乗っ取られている状態なんです。こうなると手に負えなくなります。
ただ、体は同時に二つのことはできません。
手は握るか開くか、飲み込むか咳をするか、しゃっくりするかあくびするか・・・しかないですからね。
怒りながら笑うことはできない・・・おっと
・・・
なので、まずは体を整える、
つまり考えたり悩んだりするようなときは、一にも二にも体を動かすこと(またでました)
自ら体を動かす=自分の体を自分の命令(意志)で動かすということなんです。
悩み出すと悩む心が自分の体を支配して、ぎこちなくしてしまいます。
とにもかくにも、気分がアレな時は、考えたりなやんだりするほど体の自由が奪われるから
筋トレしろってことで。ただ、筋トレよりも簡単な解決策が次に出てくるんだよなぁ。。。
18.祈り
人体には、どうやってもできないことがあります
例えば、自分の肘の外側を舐めることができないとか、『あ』の発音の口のままで『い』といは発音できないとか。
いくらできるような気がしても無理なんです。。。人体って不思議です。
こういった現象(?)は、想像に体が逆らう運動をしているわけです。こういう時、想像力は全く意味をなしません。
ところが、イライラすると態度や表情に出るように、身ぶりは自分の精神状況をあらわしてしまいます。
本書では”情念”と表現されている、怒りやイライラといった負の感情、行動や態度に出てしまうのはよくあることです。
恥ずかしながらワタクシもその一人。。。
こういった情念を統御する術があるんです。それは・・・
『祈り』の所作
祈りのポーズをとるだけで、負の情念を一時ストップさせてくれんです。
※実際やってみると結構てきめんでした。
・・・
ただ人間、怒っているときはそう簡単に信用してくれないんです。
怒っているときは
- 怒りの元となった事実を確認し
- 怒るっていることを正当化するための理屈、前例を探し
- 怒りは正当なものだから、簡単に解いてもらおうなどとは思わない、なんて言い出す・・・
言い出さなくても、こういうロジックに身に覚えがある方・・・ワタクシです。。。
で、こういう時、次に出てくるのが
「理屈ではわかっているんだけど・・・」
という言い訳。
情念に対して理屈(=理性)は完全敗北することになる。
つまりは、人間は情念には打ち克てない、宿命は変えられないということになってしまうわけです。
こうなると、怒りや絶望からどう逃れるのか・・・宗教です。宗教で祈りの姿勢を取ると、負の情念がストップする→救いが・・・
ちょっと自家発電チックですが、このように宗教・神学が自然に展開されたわけです。
アランは、この流れをかなり端的に
「要するに自分の怒りをあまりに好みすぎていた」
と表現しております。
祈りの所作は、筋トレやストレッチよりよっぽど簡単なので、皆さんもあ、自分がイライラしてるとか、なんか気分が晴れないときは、筋トレもいいですが、祈ってみてはいかがですか?
なにも考えず、自分なりに手を合わせたりひざまずいたり。。。
これ、今風に言うとマインドフルネスに近いのかもしれません。
ただ、一度情念の炎モードにはいってしまうと、そんなことすら考えもしなくなってしまうので注意が必要です。
ワタクシも自警の念を込めて、
日々の中で祈りを忘れずにいようっと。。。
※余談ですが、今回の話、ハンターハンターに出てくる「ネテロの感謝の正拳突き」を思い出させました。
修行で一日一万回の正拳突きを毎日やっているうちに、最初は丸一日かかったのが、次第に短くなって、その分、祈る時間が増えたという描写があるんです。
やはり最後は祈りに・・・情念をいかに制御するかは、正拳突きと同じくらいきついのだろうなと勝手に思いました。
※※さらに余談ですが、絶賛休載中のハンターハンターが連載再開するまで、毎日正拳突き1000回やってる人がいるんですね。。。
くわしくはこちらをどうぞ。
7 thoughts on “不動産屋がやるブックレビュー アラン『幸福論』 連載9回目”
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