ヤベーだいぶ間が空いてしまった・・・
古すぎる・・・
さて、皆さんが幸せになってほしい一心で更新する『幸福論』レビュー
今回は7回目
第7回目は
13.事 故
14.惨 劇
をレビューです。今回はどちらも似たようなお話です(ネタバレ)そして重いです(ネタバレ)
13.事故
皆さん、夢で高いところから落ちる夢見たことはありますか?ワタクシはたぶん10回くらいあります。落ちるところまではリアルに怖いんですけど、いつの間にか普通の空間にワープしてるんですよね・・・
こんな風に墜落事故は、誰でもたやすく想像できるし、夢で見ることもしばしばです。
この恐怖は考えをめぐらす時間があるために生じる、実際の事故は一瞬で、そんな恐怖を感じる余裕すらないわけです。
なので極度の苦しみ、なんてものもないのだとアランは言います。(正直拷問や長期にわたる闘病は極度の苦しみでは?と思いますが・・・)
恐怖は眠り薬のようなもので、多くの機関(=体)は勝手に動き苦しむので、全体のねむりが訪れない。
なのに、我々は苦痛を予想し、待ち構えることで、苦しみの前後の持続がおこる。いわば苦しむ以上に痛みを恐れている。
とどのつまり恐怖を作り上げるのは想像力というわけです。
アランはそれを象徴するような出来事を経験しております。
劇場で焦げ臭いにおいがして、観客がパニックになり我先に出口に向かう中、その人波にのまれ、どこへ行くのか、なぜいくのかわからず押し流される。これほど怖いことないが、その時は考えを巡らせたり、予想したりは出来なかった・・・
本当のやばい、絶体絶命のような体験の中では、恐怖を感じる暇などない、
その最たるものが”戦争”です
例えば
戦争において自力で何とか逃げられた兵士は、戦場での恐ろしさ・恐怖を抱くだけの時間があった
突然打たれ病院に運ばれた兵士は、恐怖を抱く間もなく打たれた=生命の危機にあった(こちらの方が本当の恐怖の中にあったといえる)
確かにそうかもしれません。
ただ、ね、
戦争の記憶ことに関しては、はいそうですかともならないんですよね。。。
※因みにこの本、漫画版もありますので、興味がある方は是非。
この『戦争は女の顔をしていない』
(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著)
ロシアの女性従軍者のインタビューをまとめたものなのですが、驚くことに、従軍者の多くが10代なんです。今の女子高生くらいの女の子たちです・・・
一晩で紙が白髪になったり、一人殺してからは、人を打つのが怖く亡くなった話と一緒に、
ライフルにつんだスミレを結び付けた話が出てきます。心深くに届く言葉ばかりです。ツーか読むのがつらくのに、やめられなくなりますこの本。。。
そんな彼女たちの言葉を読むと、記憶から消せない体験が従軍者をどれだけ追い詰めるのか、思い知らされます。
と、戦争の話を抜きにすると、
- 最大の不幸は、物事を悪く考えること
- 想像する不幸は、ほどんどが誇張されていること
- この二つが非常に重要で、忘れてはならない
というまとめです、この章。
で、この事故の中でも、あのタイタニック号沈没事故後すぐに書かれたのが、次の章です
14.惨劇
ひどい難破(タイタニック号の事故ですよね絶対)から助けられた人→悲しい思い出を持っている 眠れない日には繰り返し思い出される。
本来惨劇に見物人は存在しない。
惨劇は思考をしずめてしまう。本当に惨劇で亡くなった方は、何も感じる暇もなく亡くなっている。
感ずることは反省することであり思い出すことである。
その思い出しから生まれる恐怖が悲劇的な『物語』を作り出すのである。
死は残酷なまでにすべてを葬り去るし、すでに死んでいるので、当事者にとっての苦しみは終わってしまっている。
なのに、生き残っている人の想像力の中では、死者は何度も繰り返し死ぬのである。
・・・
という内容なので、13・14って大体同じような結論なんですね(おい)
というわけでここからはちょっと脱線して。
この二章を読んでいると、どうしても、悲惨な事件や事故に遭って亡くなった犠牲者とその家族のことを考えてしまいます。(最近も自動車のアクセルブレーキ踏み間違え事故の裁判の判決が下されておりましたので、なおさらです)
理不尽な事件事故から、どう立ち直るのか。
アラン曰く、死んだ人はもう苦しんではいないから、生きているものが死の間際の苦しみを想起して苦しむ必要はない
理屈はわかりますけど人間、そう単純じゃないんですよね。
自分が当事者だったら、悔しく、悲しく、底知れぬ怒りがわくことは想像に難くありません。
でも、怒りに任せて、相手を恨み続けるのは二重の意味で辛いです。
相手がどうしようもないクズだったとしても、私は、相手を赦せる人間になりたいと思います。
あ、誤解なきように付け加えると、自分自身のために相手を赦すんですけどね。
意外に思われるかもしれませんが、
実はワタクシ、死刑反対派(消極的)です。消極的というのは、死刑以外にその罪を償うのに最適な刑があればという前提があるので・・・
死刑になったとしても、事件事故の辛さは解消されないでしょう。恨む相手がいなくなったことで、行き場がなくなってしまう分、よりつらいかもしれません。
被害者の家族は司法の裁きではなく、相手を赦すことでしか、事件そのものを乗り越えられないのではないかと思います。自分で書いていても理不尽だと思います実際。でも、事件事故が起こる前に戻すことは絶対できない。
恨み続けることは、最終的に乗り越える手助けにならない。怒りや恨みをどうやって昇華させるか、それが赦しだと思います。
自分もそこまで到達出来てはいないとは思います。同じ目に遭ったらきっと恨むでしょう。でも、最終的に、何年かかってでも、赦しにたどり着きたい。
そういう生き方をしたいと思います。
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久々の更新、いきなりヘビーかよ!