とりとめもなく3.11を悼む

3月11日

鎮魂のために祈りをささげる日である3月11日あれから10年経過しました。

関連死を含めると2万2千人近い方がなくなり、2千人を超える方がいまだに見つかっておりません。

遺族の方々や、行方不明の方のご家族の方の中では、あの日は楔のように突き刺さっているのだろうと思うと、言葉がありません。

それでも、暮らしは

日常は続いていきます。

かくいうワタクシだって40年生きていると、それなりに別れもあり、身を引き裂かれるような思いも経験しました。

が、そういうさよならも、悲しみも飲み込むしかないんですよ。

忘れられなくとも。

踏ん切りがつけられなくても。

そう思えるようになってから、

「自分が思い描く大人は、もっと大人っぽかった」

という使い古された言葉、使わなくなりました。

さて新コロの流行で、多くの慰霊のイベントが変化を余儀なくされております。

思えば新コロの流行で、「変化」が大きく取りざたされた年度でしたね。

ただワタクシ、変化することが目的になっていないかと心配になってきます。

変化が善、変わらないことが悪のような二元論にはまると、

むしろ以前よりも悪いことが起こりそうな、そんなざわざわした気持ちになります。

来年度は、良い変化と、良い不変を積み重ねられれば

と徒然思うのであります。

今日は鎮魂の思いを込め、強調も大文字もなしの記事ですが、明日から平常運転の更新しますので、また変わらずお付き合いくださいませm(__)m

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