ここ数日、義理の父親による虐待死事件の公判や、子供が父親に殺害される事件がニュースで取り上げられております。
むごたらしい事件の犯人が(義理の)父親だったことに怒りや悲しみを感じ、思わず目をそむけたくなります。
が、事件の残虐性や、父親(父親と呼ぶのも忌々しい鬼畜ですが)のばかりが大きく取り上げられ、そこから先に突っ込んだ話が全くなされないのも、問題ではないかと思います。
というわけで今回は不動産要素ゼロです。かなりまじめな話です。
※事件の性質上、過激な表現が含まれる場合がありますが予めご了承ください。
今回のケースとは違いますが、望まない妊娠を若い年齢ですると
- 誰にも言えずに黙っていて
- そしていつの間にか中絶不可能な月齢になり
- そのまま産婦人科にもいかずそのあたりで産む
- そのまま殺害してしまう
- またはろくな育て方ができず、虐待や暴言を浴びせ、子供に心と体に深い傷を負わせる
(最悪今回のように死なせてしまう)
こういうケースは後を絶たないんです。
こんなの、子育てといえますかね?ていうか産ませていいんですかね?
どうしてこんなことを書くのかというと、ワタクシ
裁判員裁判に参加し、その実態の一つを目の当たりにしたからです。
私が参加したのは生まれたばかりの子供を殺害する事件(嬰児殺事件)の裁判
その母親の私生活がつまびらかに公開されるのですが、
弁解の余地がないくらいの・・・
でした。※判決前に、同様の事例を見せられるのですが、その判例も見るに堪えない事件でした、ええ
この記事書いていて、あの二週間のことを生々しく思い出しました。
さて、
アメリカでは、中絶が法律で認められてから、犯罪率が下がったというデータがある
という話を聞きました。
そして今は、手術なしで中絶できる薬があるんだそうです。
そしてその薬が認可されていないのは、先進国では
日本とポーランドだけ
なんだそうです。
これに関しては 妊娠中絶後進国」の日本女性に感じる哀れさ をご覧ください。
※怒りしか沸いてきませんが
裁判員裁判で感じたことや最近の虐待死のニュースを見て、子供を簡単に産むというのがいかに無責任か、そして日本で中絶がいかに遅れているか・・・
少子化対策少子化対策といわれているなか、中絶=生まれてくる命を途中で奪うような話ですが、
生まれてきた結果なぶり殺しにされる命を全部救えるのか?
数は多くないにしろ、育てる能力も資格もない親というのは、全国に野放しになっていていいのか?
なくなったお子さんの屈託のない絵がをの写真が映る度、そういったことを考えてしまいます。
裁判員裁判制度、批判も多いのは承知しておりますが、自分は参加した立場から、体験をもとにいろいろ発信しなければならないと考えております。
というわけで、今回は落ちもなくここまで